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2021年3月 5日 (金)

天使論

ようやく、長年あたためていた本を書くことができました。

次の文章は、『天使論』の終わりの方の一部分です。ココログを更新しないと、強制削除されてしまうとのお知らせが来て、やむを得ず記事にしました。興味のある方は、ぜひお読みください。



そして、『天使論』最後のピースです。「最後の」というのは、最終と言う意味ではなく、『天使論』を書く上での締め切りのようなものと受け止めてください。

宗教とは、嘘(フィクション)に命が宿った怪物なのです。イデオロギーも同様の怪物と言えるのかもしれません。どちらも人間によって作られた怪物であり、人類を滅亡へと導く存在なのです。残念ながら、これまでの人類はこの怪物が示す道しか頼りにできなかったわけです。しかし21世紀の人類は、インターネットを通し広く世界を見て学ぶことができるようになり、この怪物を客観視できる能力が開かれてきたのではないでしょうか。

では、この怪物から逃れる方法とは何なのでしょう。それは、自分が(前世においても、そして変わることなく続く来世においても)虚構の存在であることを自覚し、あらゆる次元を(宇宙を)超えた永遠の存在と繋がることで、ゼロから自分を永遠の存在へと創造し直すことにあります。

私はそれを可能とするのが瞑想なのだと考えています。ただ、このことについて私は敢えて断言したくはありません。あくまで「仮説」として語りたいからです。もし、断言してしまったなら、私の語ることも嘘(フィクション)と同じものとなってしまうことでしょう。私のような仮説を持って生きている人は世界中に何人もいるわけですが、そのような考え方が次の世代に誰かに受け継がれて、進化していくべきだと思うのです。このような進化し続けることのできる教えを「口伝(くでん)」と言います。

イエス・キリストは、『新約聖書』を書いた人ではありません。むしろ聖典を作ることを反対したのです。皮肉にもユダヤ教を冒涜した罪で、パリサイ派による判決によって、初代教会(ナザレ派)もしくはエッセネ派から追放されたギリシャ人の改宗者たちがキリスト教を立ち上げたのでした。本来のイエスの教えは「口伝」であった筈なのに、神の言葉と絶対視する聖典となってしまったわけです。

同様に残念なことは、本来「口伝」であった筈の『タルムード』(ヘブライ語限定)が、キリスト教の敵視に対抗してユダヤの聖典となってしまったことです。このようにして、宗教は怪物へと変わっていったのです。

『クルアーン』(アラビア語限定)もムハンマド本人が書いたものではありません。『クルアーン』は本来、単に記憶する書ではなく、ムハンマドに習い、私たちが神から啓示を受けることを学ぶべきものでした。そこのこころを理解していないと、やはり怪物を作り上げることに変わりないのだと思います。

私たちは、瞑想の世界の住人になることで、イエス・キリストやムハンマド、さらにはお釈迦様のような聖者と同様の世界を共有できるわけです。まずは私たちが教えられてきたイエス・キリストやムハンマド、そしてお釈迦様は本物ではないことを知るべきなのです。

宗教とは、嘘(フィクション)に偽りの命が入り込んでしまった怪物と言えるわけです。私たちは、ようやくそう言える時代に今いるわけです。




『天使論』は、こちらから(無料です)  心理オフィス まごころ

2016年3月11日 (金)

あれから5年

今日は、東日本大震災からちょうど5年目にあたる。
母方が沿岸部ゆえ、身内からも犠牲者や行方不明者が出た。

震災の1か月後に現地に行ったが、おびただしい瓦礫の山に被害の大きさを感じずにいられなかった。 その時、漁師さんたちはすでに漁を始めていて、パワーショベルによって仕事場となる高台を作り上げていた。 仮設住宅住まいだったが、私と母と妻は暖かいもてなしを受けた。 不屈の精神を持つ方々の働きを見て頭が下がる思いだった。

瓦礫ということでふと思い出したが、2月頃にテレビニュース等で話題となった川崎の老人ホーム連続転落死事件は記憶に新しい。入所者3人を殺害したのは23歳の男性職員だった。私の妻も老人介護施設に勤めているので何となくわかるのだが、中には5分ごとに職員を呼び出しては暴れ、糞尿をまき散らすような老人もいると言う。脳の機能が壊れ、人間としての尊厳すら感じられない。

殺害をした男性職員は、そういった困った老人たちを瓦礫のように見ていたのかもしれない。瓦礫ゆえに処分しなくてはならないと思ったのだろうか。しかし、彼は人を3人も殺したのである。死刑になってもおかしくないような罪を犯したのである。

人は、役に立つから尊い人間。役に立たないから要らない人間と考えがちになるが、決してそうではないのである。

いかなる人格であれ、「命そのものが尊い」のである。

私たちが食する豚肉や鶏肉、牛肉なども、尊い命をいただくのである。そういった日々の糧によって生きていられることに感謝し、それゆえ頑張って生きていかなければならないのだ。

私たちは、そのことをふと忘れてしまうことがあるような気がする。

東日本大震災は、あまりに悲惨な現実であったと思うが、私たちはその悲惨な体験を通して命の尊さを心に刻むことが出来た。多くの人が生産性重視の生き方を一旦ストップさせ、自分も何か役に立ちたいと立ち上がった。多くのアーティストが、被災地で励ましの青空コンサートを行った。

その奇跡ともいえる人間の絆を決して風化させてはならない。

あの瓦礫の中に、人間たちの幸せな営みがあったのだ。同じように、瓦礫のように思えるような壊れた老人たちにも、幸せな営みがあった筈なのである。

さて、世界の人口は73億人を超えている。余剰人口が多すぎると言い、海外では人口削減計画を掲げる政治家もいると言う。その計画のほとんどが野蛮ともいえる方法なのである。

では、命の尊さを失うことなく、人口を減らしていく方法とは、唯一、教育しかないと思うのだ。世界中に教育が行き届き、世界中の人々が、そのことを理解し、協力できるようになれば、人類は不幸な歴史を刻むことなく美しい地球を取り戻していくことができるのだと確信している。

14時46分、携帯のアラームがけたたましく鳴り、気が付いたら、そういうことを必死に祈っている自分がいた。






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2016年2月 4日 (木)

今に集中する

歴史に学ぶことは別として、後悔と恨みがうずまいている過去に心を向けるのではなく、また仕事上のプロジェクトを進めることは別として、過度な期待と不安がうずまいている未来に心を向けるのでもなく、今に集中することが、あらゆる困難を乗り越えていけるベストな生き方なのではないかと思うのです。

 

神様(仏様)は、過去にも存在していないし、未来にも存在していない。今にだけ存在し、今の中に永遠が存在すると思うのです。今に集中するなら、次々に課題をこなしていけるので、多くのことが出来るようになります。逆に、同時に複数のことに手を付けるやり方だと、意外と何もこなせず、返って非能率だったりします。一つのことに集中すると、何か不思議な力に繋がるのかもしれません。

 

さて、銀行口座の引き落としの父名義から私名義に変更する手続きと、まだお礼をしていない方への件以外は全て終了しました。昨日は、過労のために苦しくなってきたため、かかりつけの病院で点滴をしてきました。

 

父が亡くなってから、腰が痛いと駄々をこね全く何もしない母のことで苦しんできたわけですが、その母の車いすを引いていると、何故か強力な助け手に出会うので不思議でした。きっと、「お気の毒に、何かお力になりましょう」と思うのでしょう。いろいろと知恵を授けてくれました。そうして母の借金の件も、母の遺族年金の件も、父の死亡保険金の件も次々に解決していきました。一気に不安が無くなりました。

 

今日は、朝7時からやっている高松2丁目にある「おはようクリニック」に母を連れて行き、痛む腰を診てもらいました。詳しい検査結果は来週となりますが、おおよその原因と対処法が見えてきました。お医者さんも看護師さんも素敵な方で、とても優しく対応してくれたので、母はよほど安心感が得られたようで、帰宅の車内では楽しそうに話をしていました。

 

昨日のお稽古では、子供たちに「今に集中する」についての話をしました。その後、子供たちは素晴らしい頑張りで答えてくれて、これは小さな子供にも届きやすい話だと感じられました。





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2015年9月21日 (月)

優れた人ほど語らない

最近の私のブログの記事(特にアメブロで公開したもの)では、かなりぶっ飛んだ内容が続いてしまった。

 

それでも自分的には、かなり抑えて書いているつもりではある。心のままに書いてしまうと、ぶっ飛び過ぎて大変なことになってしまうからだ。

 

さて、そこで大きな気づきを得ることができた。

 

良い教育とは、自然と触れ合うゆとりを持った授業を心掛け、子供が自力でいろいろな解決策を見つけ出すお手伝いをする。一人一人の子供の子供目線でのコミュニケーションを大切にし、時には、その子とじっくり、とことん付き合い、ぶっ倒れるほどやり抜いた後に新しい力が得られることを体験させるといった「限界越え」も体験させる。これこそがシュタイナー教育の神髄なのである。

 

多分、天界のマスター(守護霊ともいえるのかもしれない)は、そのように私と付き合ってくれている筈である。それゆえ、私は多くのインスピレーションを得て問題を解決できているし、きっと解決できるといった自信というか安心感すら得ているのである。

 

天界のマスターたちが、私にしてくれていることを、教育現場で子供たちにすれば良いのである。

 

つまり、安易に答えを教えることはせずに、その子のレベルでコミュニケーションをして、その子が自力で問題解決できるように導いていく。そうすることで、本当の力が身についていくのである。

 

そういう子は、きっと、自力で多くの壁を乗り越えて、いつかは教える教師をも超えていくに違いない。私が、教え子に学ぶということになったら素晴らしい。というのは、自分が乗り越えただけでは、まだ半分であり、それでは自己愛のレベルだからだ。他者を乗り越えさせることができてこそ、他者愛が加わり、より完成されていくのである。

 

ここまで話したことは、カウンセリングにも応用できることだと思う。

 

解決策を教えてしまうのではなく、その人が自力で問題解決できるように、その人目線でのコミュニケーションを取ることで、「気づき」へと導いていくのである。

 

だから、私は、どんなに答えを持っていても、答えを話すことがあってはならないのだ。その答えは、私が「気づき」よって得られたもので、あくまで私だけのもので良いのである。

 

人は、自分越えをするには、大変な努力が要る。さらにそれを継続して行うには、それなりの決意が必要となる。短期間にそれをなすことなど困難である。まずは、自分サイズから始めなくてならない。他人サイズでは、挫折してしまうからだ。

 

自分サイズから少しずつ、時間をかけてゆっくりと、そして着実に自分越えに取り組んでいくのである。

 

「優れた人ほど語らない」という意味が少しわかってきたような気がする。語ってしまっては教育にならないからである。





〈補足〉
例えば、ショパンの演奏法をピアノの入門者に教えようとしても伝えることはできないことと似ている。ショパンを弾けるだけの腕前を持つだけの修業をした者にしか伝えられないのである。

私は、現在のイマジネーションを得るために素地に30年。専門的な学びを約3年やっているが、そうして得たことを果たして、素地も何もできていない人に伝えられるかと言うと伝えられないように思うのである。

昨日は、紫波町のビューガーデンにて、「鳥山敏子先生を偲んで 賢治の学校との交流会」に参加した。とても有意義な学びをしたので、後日、そのことを記事に書いて紹介したいと思う。

交流会から帰ってくると、玄関前に生ごみが置いてあり、カラスに荒らされていた。母の話だと、明日が可燃ごみの日なのだが、先週もそうだったが前日にごみを出す人がいて、家がゴミ当番なので置かれたとのことだが、家の中に置かないといけないのに玄関に置いたままにしていたので酷いことになっていた。それを必死で掃除し、一段落したと思ったら、父が悶絶しているので、車に乗せて岩手医科大学工事救急センターに連れて行った。

私がいないことをいいことに、食べたいだけ食べ物を食べたようである。その結果、また胃に穴が開き、集中治療室に逆戻りとなった。家族が全面協力し、普通に食事ができるようにまで回復したのにである。裏切られたような気分だった。しかも、先週には、入院していた病院で脱走を繰り返し、強制退院させられるなど育ちの悪い生き方が完全に蘇っている感じだった。子供の頃は不良グループの番長で、喧嘩が強いことがこの人の誇りだったようだが、私は幼少からこの人のDVに随分苦しめられてきたので、教育の重要性を感じるようになったのだと思う。

救急患者が多かったため、入院できるようになるまで深夜の11時を回っていた。家に帰ったときには午前0時を回っていた。母も介護者で歩行困難。妻は仕事のことで手一杯。私が倒れたら、この家族はどうなるのだろうか。

 

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