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2015年7月 3日 (金)

死は怖くない 心(マインド)と魂(ソウル)の違いを知ること

死の不安を克服することが、人が生きていくうえで重要な要素であり教育でなされるべき課題の一つです。

 

心(マインド)は、失われるものですが、魂(ソウル)は失われないものです。

 

例えば、脳に損傷のあるような大けがをした場合、脳の機能を激しく失い、その人は人格すら失うかもしれません。つまり、心は体と密接な関係があります。

 

しかし、魂は体とは別のところで機能しており、仮に脳に激しい損傷を負って人格を失ったとしても、失うことはありません。

 

ですから、医学が発達し、手術によって脳の機能が完全に取り戻せるのなら、その人は人格を取り戻すことができます。魂は失われていなかったゆえ、そこから取り戻すことができるわけです。その際、人格を失っていた、つまりは心と魂の交流が止まっていた時の記憶は無いことでしょう。

 

そう考えると、体あってこその心ですし、心と体の両方を失うことを死というわけです。

 

つまり、死んだからといって魂を失うわけではありません。

 

ですから大切なことは、体を大切にしなければ、心を健全に保つことはできないということです。そして、心を健全に保つことで、この世に生まれ、この世での体験を通して良い学びができるわけです。これは、魂のみの状態ではできなかった素晴らしい学びなのです。

 

さて次に、この失われることのない魂(ソウル)とは何かということになってきます。

 

一度きりの人生と考えるキリスト教と、何度も生まれ変わると考える仏教では、魂の意味合いが若干変わってきます。

 

ここで、どちらが正しいかと考えては公平さに欠けてしまいます。ですから、どちらにも共通して教えていることとは何かと考えると、心の他に魂の存在があることを教えているということです。永遠の命というのは、ズバリ魂を指しているわけです。

 

こうなると、人生に行き詰ったから自殺したいと考えることは良くないことであるということになります。

 

自殺したい人は、この世の現実から逃げたい、自分がいなくなった方が楽だと考えがちです。

 

しかし、死んだからといって魂は失われることがありません。この世での学びの時は失われますが、魂は霊界で、その続きの歩みをしなくてはなりません。

 

霊界とは、神のいる高い次元もあれば、神から遠く離れた低い次元もあると考えられています。私は神に近い次元を「天国」、神から遠い次元を「地獄」とイメージしています。これはあくまで「わからない」の世界ゆえ、キリスト教の考え方、仏教の考え方、あるいは別の考え方、どれにおいてもこれが正しいと決めつけることはできません。

 

ただ、自殺をした人が、霊界に行った際、果たしてどのような次元に行くのかと考えると、誰もが良い次元に行けるとは考えにくいことでしょう。

 

私はクリスチャン(キリスト教信者)なのですが、これまでに多くのキリスト教バッシングの記事を読んできました。そして何度となく、心がキリスト教から離れそうになりましたが、私はキリスト教による奇跡体験が多いので踏みとどまることができました。

 

ただ最近になってはっきりしてきたことがあります。キリストの教え、特に『新約聖書』の中の4つの福音書の教えとは、賢者への教えではなく、教育の乏しいものを含む万民への教えであること。そして、この4つの福音書の教えのみで十分であり、この教えに生きるなら、間違いのない生き方ができるということです。

 

どんなにキリスト教が間違っているとか、聖書はねつ造された書であると言われようとも、聖書は生きた書であり、これまで多くの人々に奇跡を与え、神の証を与えてきたことだけは事実なのです。

 

とはいえ私は、キリスト教のみが正しいとは考えていません。あくまで天国へ行くための方法の一つであると考えています。何が正しいかと一生迷って生きるより、足元を固めて堅実に生きる方が優れていると考えています。ですから、仏教信仰で生きることも同じように優れた道であると思うのです。

 

もちろんご家庭で仏教教育をしているとか、他の宗教による教育をしている場合においては、そちらを尊重し全力で協力していきたいと考えています。それゆえ親御さんとの連携がとても重要であり、情報を提供してもらわなくては良い方向性が得られません。その情報を基に、お預かりしたお子さんの良心を向上させる教育を進めていきます。私の塾では、グローバルな視野を持てる子供に育てたいので、世界にはいろいろな気候風土があり、そこに根差した文化があり、そして異なる宗教があることも伝えていきたいです。

 

ただ、特別宗教教育をしていないご家庭のお子さんに関しては、私自身が数多くの奇跡を体験し、証を持つキリスト教による教育を学ばせたいと考えています。もちろん、キリスト教にのみ偏った視野の狭い教育にはしないつもりです。ただ、何が正しいかと迷わせてしまうと意味がないので、子供たちが消化できるレベルで基盤づくりから取り組んでいきたいと思います。

 

宗教が何であれ、良心を保つためのしっかりとした基盤を持っている子は決して迷いません。基盤さえしっかりしていれば、多様な思想や文化を受け入れることも可能となります。世界中のいかなる人とも上手く交流できる術も得られることでしょう。ですから基盤づくりが重要なのです。教育現場には、宗教批判を持ち込まないのが基本であり、そこを守れない場合は、残念ながらやめてもらうしかありません。批判に関しては、親の言葉に原因があるようです。

 

基盤を持っていない人は、迷ってばかり、または批判してばかりで考え方が定まらずふらふらしているゆえ、信念を持った生き方ができません。これでは何をやっても中途半端になってしまいます。

 

そしてその基盤は子供時代に築かれるべきものです。この基盤は学校教育とは別物ゆえ、本来親から子に伝えるべきものです。中には、偉人伝など書物から得る子もいることでしょう。いずれにせよ、私はそのお手伝いをする教育を展開しています。

 

 

生きながら心を失わないような生き方をしましょう。

 

心を失わないように、さらに心を育てられるように、体を大切にしましょう。

 

そして死んでも、心と一体である魂は失われることはありません。

 

死は、新らたなステージに移行することを意味します。

 

そこは神と共に生きられるステージです。

 

私たちが、頑張って生きなくてはならないのはそのためなのです。

 

頑張って生きている人にとって、死は決して怖いことではないのです。

 

ですから、頑張って生きられるように心身を鍛えましょう。

 

「頑張れること」ができれば、どんなに不治の病に侵されようと、身体に重度の障害があろうとも、心は健全に機能しているという証です。魂が喜ぶ学びをしていることになります。

 

しかし「頑張れること」ができなければ、心にとっても魂にとっても、実に残念な状態にあると言わざるを得ません。

 

映画「マザー・テレサ」の終わりの方で、年老いて行くマザー・テレサに周囲の人々が「休息を…」と言うのに対し、マザーはニッコリ笑い、「やがて私には永遠の休息が待っていますから…」と答えていたシーンがとても印象的でした。

 

「頑張れること」の究極の姿がそこにありました。

 

「頑張れること」は素晴らしいことであり、だからお互いに(ほぼ無意識の内に)「頑張ってね」と励まし合っているのだと思います。

 

 

 

 

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