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2015年6月25日 (木)

本当の自分に出会えたなら

あなたは本当の自分に出会っていますか?

私ってなんてバカなんだろう。

私ってなんてちっぽけな存在なのだろう。

そのように考えて落ち込んだことはありませんか?

そのように考えている人は、まだ本当の自分に会っていない人です。

私たちの肉体は、父方の血脈と、母方の血脈によってつくられた肉体によってできています。

つまり、血脈による身体と、脳が、ある意味、私たちに限界を与えているのです。

何であの人は、すぐに覚えられるのに、自分は何度やっても覚えられないのだろう…

何であの人は、すぐに応用できるのに、自分は単純なことすらまともにできないのだろう…

実は、こういったことは、血脈による肉体があなたに与えている限界が起こしていることなのです。

本当のあなたは、霊的な存在で、そこに居るあなたは長い長い生命の進化の歴史の中で培ったすべての能力を持った存在なのです。

時間にゆとりを作り、黙想する時間を持った方が良いのは、そこにあります。

より高い次元にアクセスし、まずは本当の自分に出会う必要があります。

宇宙の法則上、地上での修業を続ける上で、そのことを完全に引き出すことはできないのですが、感じることは十分に可能です。

自分の守護をしてくれる霊によって、たくさんヒントを与えてもらえることでしょう。

そして、まだまだ自分には、大きな可能性があることを感じられるに違いありません。

この肉体を鍛え、脳を鍛え、その能力を十二分に発揮できるようにすることが重要なのです。

もっとも重要なことは、これまでの進化の歴史の中では体験できなかった新たな体験をし、新たなチャレンジにより、これまで未体験だった壁を乗り越えることに意義があるのです。

得意なことばかりやっていては、無駄に時間を費やしているに過ぎないのです。

困難は、人を鍛えます。

困難は、奇跡を体験するためにあります。

奇跡体験は、魂の進化のために通らなくてはならない過程なのです。

肉体的に能力的にハンディがあるということは、そういう意味では大きな神の祝福です。

前世の行いが悪かったわけでも、先祖のせいでもありません。

神の世界に触れ合うために、とても必要なことであると知るべきなのです。

ですから、できない自分から逃げてはいけません。

本当の自分に出会えたなら、きっとそんな厳しい現実に立ち向かっていける勇者になれることでしょう。





P.S.
例えば、超頭の良かった人が60歳過ぎて、不幸にもアルツハイマー病になったとします。彼は、それまで築いてきた知識をどんどん失い、家族の名前すらわからなくなってしまいました。それは現実なのですが、それは彼の脳が故障してしまい魂からの受信ができなくなってしまったことに問題があるわけです。

つまり魂には全く問題はなくても、脳が故障してしまったので、そういった限界ができてしまったといえるのです。もし、発達した医学が、彼の脳を治すことができるなら、また元のように頭の良い彼が復活するわけです。

こう書くと、意味が分かってもらえるのではないでしょうか。本当の自分は身体や脳にあるのではなく、魂の方にあるという考え方です。

この人が、その後死んで、霊界に行ったなら、本当の自分に戻ることができます。しかし、霊界ではさらなる進化をするための修業はできません。それで、新たな自己開発を兼ねて新しい生命に生まれ変わってくるわけです。

そう考えると、恵まれた環境に生まれてきたから優れていて、悪い環境に生まれてきたから劣っているとは言い切れなくなってきます。なぜなら、困難を克服することこそが、魂の進化に必要なことだからです。

釈迦もキリストも、当時の差別的宗教観にあって、輪廻転生についてはあえて外して教えるしかありませんでした。当時の教育レベルはとても低かったからです。しかし、人類は教育的な環境を獲得し、そういった概念を差別的にではなく平等視できる高い次元でとらえられるようになってきているのです。

とはいえ、こういったことも「わからないこと」には違いありません。わからないことなのに、わかったと決めつけては科学の原則に反します。「ここまでは、何となく理解できたけど、ここのところはまだわからないから保留にしよう」で良いのです。きっとこれから解明されていくことと未来を楽しみに待ちましょう。

まず何よりも、自分自身のポテンシャルを最大限に生かせることが重要なので、自分の心に正直に、自分ならではの方法を見つけることが重要なのです。



恵翠書院 盛岡教室 http://flock.cocolog-nifty.com/blog/cat51275045/index.html

恵翠書院 滝沢教室 http://flock.cocolog-nifty.com/blog/cat51275017/index.html

2015年6月13日 (土)

高円宮杯

今年も、塾生たちは高円宮杯にチャレンジをした。硬筆が5名。毛筆が14名。その内、硬筆と毛筆の両方を出した者が2名だった。

今年は、例年になくレベルが高く。全員が大きな賞を狙えるような作品に仕上がった。

今回の高円宮杯のチャレンジによって、苦手意識を克服したばかりか得意にまで持っていった者も数人いた。一角書くごとに注意を入れてやり直しを何度もしてもらった。なので、作品を全部書くには、数十枚書かなくてはならなかった。

子どもたちは、本当に良く頑張ったと思う。

高円宮杯が良いコンクールであるのは、他のコンクールでは、出品した上位何パーセントが、特選以上、何パーセントが特選、何パーセントが準特選、何パーセントが金賞、何パーセントが銀賞、何パーセントが銅賞と決められているので、頑張った子でも銀賞や銅賞を割り当てられてしまうのだが、高円宮杯は、作品のレベルで賞を決めてくれるので頑張った子が報われないことがあまり見られない点である。

競書の段試験とスケジュールが重なるため、全国展は別のものにしようかと何度も検討したが、審査の素晴らしさを考えると他に変えることができない。子供たちには大変キツイ思いをさせるのだが、5月と6月は、シュタイナー教育等をお休みして、書道漬けになってもらっている。

去年は、私が新聞配達をやっていて超寝不足状態で、指導する側が頑張りきれなかった。今年は、去年よりかなり頑張れたと思う。とはいえ、父母の介護に、妻の精神的スランプに悩まされて、やはり寝不足でキツかったのだが、お稽古中はかなり頑張れた。家に帰ると、服を着たままで寝てしまうことも何度もあった。

そのことを考えると、私の指導には、まだまだのびしろがあるのかもしれない。

今回は、3年生以下と、落ち着きのない子は参加しなかった。次回は、全員参加できそうな気がする。全員、自分の壁を克服できていると信じているからだ。

私の塾は、書道スキルを学ぶためだけのものではない。静かに書道に取り組むことで、脳内に記憶可能エリアを広げることもあるし、究極は、シュタイナー教育により「何があっても大丈夫」と思える柔軟な心を養うことにある。

厳しさを受け入れ、自分の壁を乗り越える指導は外すことができないものである。克服体験は、奇跡体験でもあり、良い習慣を実に付けた上で、「絶対にできる」という確信があってこそ自然に起こり得ることなのである。

この確信に根拠など要らない。良くなりたいという気持ちが前面に出ていることが重要なのである。

塾には、子どもたちの素晴らしい作品をすべてコピーして展示している。全員がベストを尽くしていることが見て取れることだろう。ブログでもその写真を紹介したいのだが、両親の介護と、妻の精神面のスランプに毎日苦しんでいる状態でもあり、文字更新がやっとであった。残念でならない。




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