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2015年2月 3日 (火)

県書写コン特別賞発表

1月31日(土曜日)付けの岩手日報朝刊に、県小・中・高書写書道コンクールの特別賞が発表された。

当塾からは、6年生の女子児童が硬筆で全日本書写書道教育研究会長賞を、3年生の女子児童が毛筆で県芸術文化協会長賞を受賞した。

6年生の女子児童は、3年連続の受賞だが、去年は毛筆も硬筆もダブルの受賞だっただけに、毛筆での受賞を逃したことを大変悔しがっていた。3年生の女子児童は、初めての特別賞をとても喜んでいた。

応募総数6万5352点中、特別賞に選ばれたのはわずか221点である。そして、特選と推薦を合わせ、3月に岩手県民会館に展示されるのは全体の約十分の一の5891点である。特別賞となれば、全体の約三百分の一と狭きものとなる。

書写コン特別賞の常連だった中学2年生の男子生徒は、残念ながら今回は逃してしまった。彼は、才能はピカイチであるが、今回は生徒会長に立候補するなど学校行事に追われ、練習量が足りな過ぎたのが原因だったと思う。

つい先日、NHKテレビで「高野山」というドキュメント番組を見た。気温マイナス10度の中、川の水に入って必死にお経を唱えるなど、それは厳しい修行の様子が映し出されていた。煩悩をすべて消し去ってこそ、本来、自己に備わっている仏の心が輝くというのである。ある意味、完全なる自己否定のようにも感じられた。それはともかく、紹介されている厳しい修行の中に、写経を書いているシーンがあった。

私も般若心経の写経をすることがあるが、あくまで字が上手になりたいゆえの練習である。だから、休み休み書くのだが、高野山の修行では、もの凄い暑さと、姿勢を崩すことが許されず足のしびれと闘わなくてはならない護摩行と同様、雑念が描けぬよう、つまりは煩悩を消し去る意味で、速いテンポで一気に書き上げていく。心の乱れのない文字を書き続けることに必死なのである。

今回の6年生の女子児童の硬筆作品は、それに近いものがあったと思う。とにかく彼女は、書いて書いて書きまくった。それゆえ、乱れのない完璧な作品に仕上がった。

毛筆の方が残念だったのは、私に原因があったのかもしれない。もちろん、彼女は書いて書いて書きまくって私のお手本通りに書いていた。しかし、お手本通りに書かれてしまうと、教える者にとって、もっと優れた作品に仕上げようと欲が出てきてしまう。書道字典で古い文字を調べてみたり、過去の入賞作品の字を調べてみたりしながら、いくつものお手本を書いては書いてもらったことになる。ある意味、県知事賞の作品よりも芸術性のある作品を書いていたかもしれない。

しかし、新聞に掲載されれていた県知事賞の作品は、書写コンの課題手本を乱れなく完璧に書いたものであった。つまり、彼女の硬筆作品のように、書いて書いて書きまくることで十分だったのだ。書写コンは、ある意味「いかに修行をしたか」が問われるコンクールだったのである。もし、私が、芸術性のある手本を書かなければ、彼女は間違いなく特別賞をとっていたことだろう。

今回の結果を見て、ある意味安心したことは、教師の手本で決まるということはなく、出品要項と一緒に付いてくる手本で十分なのである。つまり、「いかに修行をしたか」ということが重要なので、大人のコンクールのようにカリスマ先生の手本でなければ上位入選しないということはないのである。出品する全ての学校に平等が保たれているのだ。

先日、子どもたちと芸術とは何かと話し合った。

例えば、「生きる」とパソコンで印刷した文字を壁に貼ったとする。見る人は、「生きる」と文字が貼っていることはわかっても大した感動は無い。では、書道の上手い子に「生きる」と楷書で書いてもらったとする。見る人は、「うまい字だね」とか感想を述べる人が出てくるだろう。では、ダウン症の書家の金沢翔子さんに「生きる」と書いてもらったとする。見る人は、心を揺さぶられて「この字のように頑張って生きよう」とか「今は苦しいことばかりだけど、負けてたまるか」などと前向きな気持ちにさせられる。実際、彼女の書なら、100万円を超えると思うのだが、それでも欲しいと思う人が絶えないのである。

見る者の心を揺さぶる作品こそが芸術であると私は思う。ただ、哲学的な要素などが加わると、一般人には理解し難いが、芸術を追及する者を感動させるというタイプの芸術もあると思う。いずれにしても、芸術作品とは、そういった人々から高い値打ちを付けられるのである。

私も、小学校の頃、書いた絵の作品を担任が返してくれず、何度も返してくれと催促したら、「どうしても欲しい。先生にくれないか」と言われたことがあった。友達から、私にも絵を描いてくれとせがまれたこともあった。私の声楽の歌を聞いて、全然知らない客から、「感動しました。ありがとう」と声を掛けられたことがあった。絵はコンクールの受賞作品でもないし、歌もコンクールのような順位を競うものではなかったので、栄誉を称えるようなものではなく、あくまで見る人聴く人の心を純粋に揺さぶったということである。私の芸術の原点はそこにある。

とはいえ、今年の当塾のテーマとしては、芸術よりも修行に力点を置いて、子どもたちに「いかに良い修行をさせるか」でやっていきたいと思うのである。私自身も、修行としての書道に励んでみたいと思う。そういう気持ちにさせられた、本当に考えさせられる書写コン特別賞の結果発表であった。




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