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自己紹介文

佐藤 奏月

1961年6月26日 盛岡市生まれ 男性 / 既婚 本名:佐藤 潤(さとう じゅん) 奏月(そうげつ)は、書道の雅号。

盛岡市立 仁王小学校1年生の授業において、武蔵京子先生に美術の才能を引き出され、以後、多くの展覧会で入選する。10歳の時、スキー事故で左腕の関節を複雑骨折。腕の切断手術はまぬがれるも腕の機能が回復せず、数々のハンデを乗り越える「逆転の人生」を歩みはじめる。小学5年~中学3年まで継続した野鳥の研究で脚光を浴びる。中学3年の時、担任がらみの悪質ないじめに耐え抜く。

東京声専音楽学校 中学校音楽教員養成科卒。ここでも、ビリの成績から主席で卒業し、努力賞受賞。教員免許取得。同校オペラ研究科修了。斎藤謙作氏、奥田良三氏、栗林義信氏の各氏に師事。世界的オペラ歌手、カルロ・ベルゴンツィ氏の公開レッスンを学校代表で受講するなどの活躍をする。この頃、クリスチャンとなる。悪霊に取り憑かれた友人を通してポルターガイストを体験(キリスト様に守られる)。また、思いもしない形でアカシックレコードにアクセスする体験をするなど、霊体験を多く得る。

健康を害して盛岡に帰省してからは、音楽活動を封印し、狂ったようにキリスト教、仏教、イスラム教、ユダヤ教、新興宗教等、真理追究に没頭。この間に、車にひかれる交通事故に遭う。健康を取り戻してからは、長年に渡りコンクリート2次製品のハードな肉体労働者としての人生を歩む。その間、精神薄弱者更正施設の実習生への職業実習の教官を兼任し、独自のアイディア教育により約3年間に受け持った園生16名全員を就職内定へと導く。組合独自の給料制度を試作し、能力給を阻止続けるなど、労働組合の委員長としても活躍する。

1989年8月、書道の準師範を取得(創玄会)。毎日書道展 入選3回(第44回、第45回、第50回)。トータル・カウンセリング・スクール カウンセラー養成講座 上級コース修了。渡辺裕子師のサポートにより、カウンセリング活動を開始。その数年後、音楽療法とアファメーション(ポジティブな言葉を繰り返し、繰り返し唱えることで、ネガティブな潜在意識をクリーニングしていくこと)等の研究に取り組み、研究で得たことをブログで公開するようになる。42歳の時、結婚。

2005年11月、多くのIT資格を得て フロック研究室 を設立。ホームページ制作と、パソコンサポート、PCプログラムのバックアップ・システム技術をメインとした業務を展開。
老人ホームでのクリスマスキャロルに参加したことから(現在も継続中)歌の練習を再開。コンタクトレンズの事故で目を患ったことで励ましてきたブログの友人の結婚を祝して、インターネット上からプレゼントした歌の録音がきっかけとなり、2007年5月の盛岡芸術祭を皮切りに、16年ぶりに歌手としてステージ活動を再開。岩手芸術祭、結婚式や告別式での独唱、ディナーショーの代役、バッハの演目のソリストとしてオーケストラと共演するなど、多くの活躍の機会を得るようになる。

この頃、東京でのサウンド・ヒーリングの大会を通し、アニソン歌手の高橋洋子師と出会う。その後、約3年間で8回、師の所属する東京・西麻布の音楽事務所スタジオにてレッスンを受講。スピリチュアルな世界が、確信へと変わっていく。また師の影響で、日本の神様カードに始まり、古神道、カバラ数秘術、ホロスコープ、タロットカードなど、霊界とアクセスする研究をするようになる。数々の占いのスキルが内観療法的な方向へと進化していく。また、師の導きで、教育的な方向性を模索し始める。

2009年2月、母が心臓の手術をしたことで、母の書道塾の代役を努める。そのことがきっかけとなり、書道塾を受け継ぎ、児童教育の研究がライフワークとなる。雅号の「奏月」は、高橋洋子師が名付けの親。私の守り神でもある「月読命(つくよみのみこと)」と、声楽の演奏者であることを掛け合わせたもの。また、ムリーリョの名画、「無原罪の御宿り」(月を踏む聖母マリア)をこよなく愛し、聖母のロザリオを30年以上も愛好してきていることも、そこに盛り込まれている。高橋洋子師の勧めで、自宅から近いお百姓さんから、畑を借りて趣味の農業をはじめる。

2010年7月より、恵翠書院 滝沢教室を開校(2教室経営)。その後、神の啓示を受け、キリスト教に回帰する。2011年12月より、赤字続きの教育活動の資金を得るために、「奏月タロット内観法」の出張サービス(セルフ・カウンセリングの方法の伝授 ※カウンセリングではありません)を開始する。